信濃村教会のブログ

長野県の北端、信濃町にあるキリスト教の教会。信濃村教会の日々の様子

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信濃村教会

Author:信濃村教会
信越五岳(飯綱、戸隠、黒姫 、妙高、斑尾)に囲まれた信濃町にあるキリスト教会です。

牧師:稲垣真実
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※当教会は、福音主義プロテスタント教会で、日本基督教団に所属しています。
統一協会(統一原理)、エホバの証人(ものみの塔)、末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教)とは一切関係がありません。



最新記事 集会案内
【主日礼拝】
 毎週日曜日 午前10時30分
【こどもの教会】
 毎月 第2土曜 午後2時
【婦人会】
 毎月1回日曜日 午後
【聖研祈祷会】
 第1・3・5水曜日
 午前10時30分
【家庭集会】 不 定

※集会は日程が変動することがあります。月間予定の記事などでご確認ください。
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2015年11月の記事

12月6日 主日礼拝

12/6  待降節第2主日礼拝
アドベント第二週 
 説 教 「あるがままに」 稲垣真実牧師
 聖 書 ルカによる福音書1:26~38

 ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。 天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」 マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」マリアは天使に言った。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。神にできないことは何一つない。」マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで、天使は去って行った。
 賛 美 242(2)・178・58・241・26
 交読詩篇43篇
 礼拝後:役員会
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11/29  待降節第1主日礼拝  アドベント第一週 
 説 教「あなたは、もうその人を見ている。」 稲垣真実牧師
 聖 書 ヨハネによる福音書9:35~41

 イエスは彼が外に追い出されたことをお聞きになった。そして彼に出会うと、「あなたは人の子を信じるか」と言われた。彼は答えて言った。「主よ、その方はどんな人ですか。その方を信じたいのですが。」 イエスは言われた。「あなたは、もうその人を見ている。あなたと話しているのが、その人だ。」 彼が、「主よ、信じます」と言って、ひざまずくと、イエスは言われた。「わたしがこの世に来たのは、裁くためである。こうして、見えない者は見えるようになり、見える者は見えないようになる。」 イエスと一緒に居合わせたファリサイ派の人々は、これらのことを聞いて、「我々も見えないということか」と言った。 イエスは言われた。「見えなかったのであれば、罪はなかったであろう。しかし、今、『見える』とあなたたちは言っている。だから、あなたたちの罪は残る。」
 賛 美 242-1・236・443・448・28
 交読詩篇34篇1~11

11月22日 主日礼拝

11/22 聖霊降臨節第27主日礼拝
 奨 励 「神ともにいまして」   飯田昭子姉
 聖 書 ヘブライ人への手紙11:1~3

 信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。昔の人たちは、この信仰のゆえに神に認められました。 信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉によって創造され、従って見えるものは、目に見えているものからできたのではないことが分かるのです。
 賛 美 208・156・530・575・29
 交読詩篇33篇12~22
 礼拝後:教会修養会

11月15日 主日礼拝

11/15 聖霊降臨節第26主日礼拝
 説 教「今は見える」 稲垣真実牧師
 聖 書 ヨハネ福音書9:24-34

 さて、ユダヤ人たちは、盲人であった人をもう一度呼び出して言った。「神の前で正直に答えなさい。わたしたちは、あの者が罪ある人間だと知っているのだ。」彼は答えた。「あの方が罪人かどうか、わたしには分かりません。ただ一つ知っているのは、目の見えなかったわたしが、今は見えるということです。」すると、彼らは言った。「あの者はお前にどんなことをしたのか。お前の目をどうやって開けたのか。」彼は答えた。「もうお話ししたのに、聞いてくださいませんでした。なぜまた、聞こうとなさるのですか。あなたがたもあの方の弟子になりたいのですか。」 そこで、彼らはののしって言った。「お前はあの者の弟子だが、我々はモーセの弟子だ。我々は、神がモーセに語られたことは知っているが、あの者がどこから来たのかは知らない。」彼は答えて言った。「あの方がどこから来られたか、あなたがたがご存じないとは、実に不思議です。あの方は、わたしの目を開けてくださったのに。神は罪人の言うことはお聞きにならないと、わたしたちは承知しています。しかし、神をあがめ、その御心を行う人の言うことは、お聞きになります。生まれつき目が見えなかった者の目を開けた人がいるということなど、これまで一度も聞いたことがありません。あの方が神のもとから来られたのでなければ、何もおできにならなかったはずです。」彼らは、「お前は全く罪の中に生まれたのに、我々に教えようというのか」と言い返し、彼を外に追い出した。
 賛 美 16・152・442・452・27
 交読詩篇33篇1-11

11月8日 主日礼拝

11/8 聖霊降臨節第25主日礼拝
 説 教「見ても見ず、聞いても聞かず」   稲垣真実牧師
 聖 書 ヨハネ福音書9:13-23

人々は、前に盲人であった人をファリサイ派の人々のところへ連れて行った。 イエスが土をこねてその目を開けられたのは、安息日のことであった。そこで、ファリサイ派の人々も、どうして見えるようになったのかと尋ねた。彼は言った。「あの方が、わたしの目にこねた土を塗りました。そして、わたしが洗うと、見えるようになったのです。」 ファリサイ派の人々の中には、「その人は、安息日を守らないから、神のもとから来た者ではない」と言う者もいれば、「どうして罪のある人間が、こんなしるしを行うことができるだろうか」と言う者もいた。こうして、彼らの間で意見が分かれた。そこで、人々は盲人であった人に再び言った。「目を開けてくれたということだが、いったい、お前はあの人をどう思うのか。」彼は「あの方は預言者です」と言った。それでも、ユダヤ人たちはこの人について、盲人であったのに目が見えるようになったということを信じなかった。ついに、目が見えるようになった人の両親を呼び出して、尋ねた。「この者はあなたたちの息子で、生まれつき目が見えなかったと言うのか。それが、どうして今は目が見えるのか。」 両親は答えて言った。「これがわたしどもの息子で、生まれつき目が見えなかったことは知っています。
 賛 美 205・171・57・430・24
 交読詩篇32篇
 礼拝後:婦人会

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